ころころころり

生きづらさを軽減したいスズメのブログです。教室の隅にいたアイツが何を考えていたのか分かる、かもしれない。

集団行動から何一つ学べなかった女(後編)

 こんにちは。生きづらい女こと、スズメです。

 

 今回のテーマは前回に引き続き、「集団行動での失敗・合唱コンクール編」です。前編では私のすっとこどっこいエピソードを紹介しましたので、続く後編では何故私はそんなことをしてしまったのか、どう行動すれば(私なりに)被害を少なくできたのかを分析していきたいと思います。

 

 

≪分析≫ 

 それでは、過去の自分にいちいち突っ込んでいきましょう。

まずは、バスに乗り損なったことについてです。前日に、乗るバスや起きる時間の確認をし、母親に起こしてもらうという保険をかけたところまでは良かったと思います。

しかし、そこは流石のおっちょこちょいマスター。心配性の割にツメが甘いのです。 

私の心配は、「忘れちゃったらどうしよう。起きられなかったらどうしよう。」 ということでした。

忘れることなく時間通りに家を出れば、もう大丈夫だと踏んでいたんですよね。

まぁ、普通の人ならばそれで大丈夫かもしれません。けれど、私です。おっちょこちょいなのに、自分はしっかり者だと勘違いしていた私です。

自分が抜けていることを自覚していれば、「バスに乗り損なわないようにしよう。いや、バスに乗り損なった時のことを考えて、もう一本早いバスはあるだろうか?それだと早く着きすぎるから、やっぱり駅まで歩いて電車で行こうかな?」などなど、心配できることはもっとあったのではないかと思います。

 

しかし、私にはマヌケである自覚が足りませんでした。なんなら、バスに乗り損なった後も気付いていませんでした。というか、つい最近まで気づいていませんでした。非常におめでたいですね。

 

以上のように、私がバスに乗り損なった第一の原因は、自分がそこまでおっちょこちょいだと思わなかったということです。

そして第二に、なるべく楽に効率的に行きたいという考えが私にはありました。「歩いて駅→電車→歩いて学校」よりも「バス→歩いて学校」のほうが「楽」なので良い(スマートだ)と判断してしまったんですね。

過去に戻って、自分の耳元で「お前はまだ効率を求めるレベルではないよ」と囁いてやりたいです。「楽さ」ではなく、「確実に時間通りに学校につくこと」を優先すれば良かったです。

それから第三に、遅れたりしたくないなと思いながらも、「自分が遅れたとて誰も気にしないだろう」というような感覚もどこかにあった気がします。

自分のことなんて別に誰も大切に思っていないよな」という考えが染みついていて、その結果、私を「一人」と数えてくれている人がいるにも関わらず無責任な行動をとってしまうんだなと最近になって気づきました。

 

ここまでの反省で、私が得た学びは以下の通りです。

・私は自分が思っている以上におっちょこちょいである

「効率的(スマート)」でありたいという思いが先立ってしまう

・効率を求めるあまり、計画が杜撰になる

自分がいなくても物事は成り立つという気持ちが強い

・その結果、「参加の義務」に対して無責任になってしまう

 

どうでしょうか?

私は自分のことなので、「分かる~」と思って書いています。

 

 さて、次の失敗は、遅刻した後の教室での態度です。

私は①こっそり加わり、②大丈夫そうだと判断し、③友達に遅刻のエピソードトーク(言い訳)を始めてしまいました。

 まず①のこっそり加わったことについてです。

遅刻をしてしまったことに対して私が緊張していたのは、ドアをそっと開けて、中の様子を確認するまででした。

つまり、申し訳なさそうだったのは、ドアを開けた瞬間だけだったということです。パっと振り向いた人たちくらいには、教室に入る時にちょっと頭を下げた様子が見えていたかもしれませんが、まだ教室がざわついていると見るや否や、「大丈夫っぽいぞ」と判断して足早に荷物を置き、しれっと列に加わってしまいました

もともとクラスメイト全員と良好な関係を築けていたわけではないので、皆を注目させて(皆のそれぞれの時間を止めて)謝るということには違和感があったのですが、せめて一応全員の顔色を窺って、目が合った人達には頭を下げるくらいはした方が良かったなと思います。もしくは、指揮者と伴奏に謝りに行って、列に加わる前に皆に頭を下げるとか。

いくらでもやり方はあったと思うのですが、状況判断が甘々だった上に、「そもそも遅刻は迷惑を掛けるものだし、たとえ迷惑が掛かっていなかったとしても謝る態度くらいは見せるべき」という発想がなかったのが本当に幼かったなと思います。

 

それから、朝練が始まるまでの待ち方も非常に問題だったと思います。たぶん走って登校したことによってテンションが上がってしまっていたということもあると思うのですが、なんとか朝練に参加することができたと思った瞬間に、「絶対遅刻しないと思ってたのに、アホすぎるミスで遅刻しちゃった」ということが私の中で「面白いこと」になってしまっていました。

「面白いこと」は共有したいもの。「遅刻したのにこっそり加わって謝っていない」という自分の立場を忘れて、自分の馬鹿話を友達にし始めてしまったのは本当に痛い行動だったなと思います。こんなの誰だってムカつくわ。

恐らく声に出したFちゃんだけでなく、他のクラスメイトで私の行動に気が付いていた人達も、不快に思っていたことでしょう。申し訳ない。

 

そして、最後に突っ込んでいくのが、Fちゃんの発言への態度です。

 無言で振り返って無言で前を向く。当時そんなつもりは全くなかったのですが、こんなのはほとんど威圧ですよね。「言うんなら面と向かって言いな!」という意思表示と思われていたかもしれない。

 

後になって振り返ってみれば、一度目の違和感で「私のこと?」と申し訳なさそうに聞いてみればよかったかなとか、二度目の違和感でやらかしたっぽいと察した時に、その場ですぐに謝ればよかったなとか思います。

 

実際の私は、ささいな敵意にもビビリきってしまって、二度と後ろを振り向かなかったのですが、怖いとか傷ついたという感情以前に、通すべき筋というものがこの世にはあるということを分かっていなかったのが駄目でした。

 

いいかいスズメちゃん。悪いことをしたら、謝るんだよ

 

・・・って幼稚園児かよ!という感じですが、本当にこういうことに関しては未就学児以下だったんだなと思います。

言葉としては分かっていたつもりでしたが、行動として身についていませんでした。何事も体験から学ぶのですね。

 

以上、つらつらと思うことを描いてきましたが、今回私が分かったことを箇条書きにしてこの記事を終わりにしたいと思います。

途中の箇条書きと重なるところはありますが、全体のまとめとして、ご容赦いただければと思います。

 

 

≪過去の失敗を振り返り、今回私が気づいたこと≫

・自分に対する認識と実際の自分とのズレがある

・私は自分で考えているよりもおっちょこちょい

・自尊心が低め(かもしれない)

・集団の中での存在感が薄くても、一人分の果たすべき責任はある

・輪を乱すようなことをしたらちゃんと謝る

・周りがあまり怒っていないように見えても謝る

・謝罪やあいさつくらいはできる人間関係を、所属する集団の皆と築いておく(と、失敗をしたときも謝りやすいのでバックレずに済む)

 

以上

 

 

少しずつ、「フツウ」の人間に近づいて行きたいな。

 

 

また次のエピソードでお会いしましょう。

 

 

 

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