ソフトバンクの長期継続特典を受け取るためにPayPayを始めた話
こんにちは。生きづらい女ことスズメです。
今日は、これまでなんとなく敬遠してきたPayPayを使い始めたという話です。
何故PayPayのことが何となく嫌だったかというと、
・プライバシー的な意味で漠然と不安
・使いすぎを防ぐために、お金を使う手段を増やしたくない
という2点でした。
なので100億円キャンペーンとかをやっている時も他人事で、コード決済を使うつもりはありませんでした。
「コード決済?使わなくてもやっていけるでしょ!」と高を括っていたのですが、ここの所のなんちゃらペイたちの乱立を見て、ちょっと不安になってきた。
キャッシュレス社会から取り残されるのではないだろうか。
使わざるを得ない事態が来た時のために、どういうものかは知っておいた方がいいんじゃないか?
いや、いっそのこと全然浸透しないまま誰も使わなくなって滅びてくれ・・・などと不安のあまり自分勝手な思考になったりもした割に、
そのままなんとなく見ないふりをして忘れていたのですが、とうとうソフトバンクの長期継続特典が2019年8月29日をもってPayPayボーナスに切り替わってしまいました。
これまで私は「毎月の通信費から値引き」という特典を選択していました。数百円程度の期間限定ポイントを使い切るために、いらない出費をするのもおかしな話だなぁと思って、金額は少し低くなるけれど、とりっぱぐれのない方を選択していたのです。(貧乏くさい)
それが、今後はPayPayを使用していないと特典を受け取れないようになったのでさぁ大変。
PayPay非対応機種の人はこれまで通り通信費からの値引きをしてくれるそうですが、残念なことに私の携帯はPayPayが使える機種です。
ちなみにPayPayボーナスは通信費の支払いにも使えるらしいですが、同じ使うにしても自動で割引いてくれるのが楽で良かったんだけどなぁ…。(もらえるものにグチグチ言うな)
と、いうことで、なんだかんだ特典をもらうためにPayPayを使う気になっています。チョロイですね。
PayPayを使うとなったら、気になるのが初めに挙げた2点です。
・プライバシー問題
と
・使いすぎ防止。
前者のプライバシーに関しては、開き直りました。
結論としては、企業の良心を信じようかな、と。
一応私の漠然とした不安の中身を書いておくと、以下のような感じです。
・一つの企業に自分の情報が集まるのがなんとなく嫌
・通信履歴や購入履歴が社内でスコア化されてたら嫌
要はあんまり大きな買い物とかしないと思うので、「こいつ太客じゃねーな」って思われて、提供されるサービスに差が出たりしたら嫌だなぁと思っちゃったんです。
中国みたいにスコアリングが一般化したらどうしよう・・・って。
ま、どうしようもないんですけどね。私が太客でないのは本当にそうだし、それなりの対応をされても仕方がないかなぁとも思う。(何せ、特典のためにPayPayを始めるくらいですから・・・)
ということで、プライバシー問題に関してはひとまず目を瞑る。
次に、使いすぎ防止策について。
まず私は「基本的にはPayPayにチャージしない」ことに決めました。
入ってなきゃ使わないでしょ!という暴論です。
ということで、口座もクレカも登録していません。
次に、PayPayはまとめて支払いでチャージができるので、MySoftBankにてまとめて支払いの一月あたりの利用上限を低く設定しました。(なんと1円単位で設定できます。)
以上が、うっかり使いすぎないために私がやったことです。
まだまだPayPayについて分かっていないので、これでは不十分とか、もっとこうしたら安心だよということなどがあれば、教えてください。
それでは、PayPayを始めることになりましたという日記でした。
集団行動から何一つ学べなかった女(後編)
こんにちは。生きづらい女こと、スズメです。
今回のテーマは前回に引き続き、「集団行動での失敗・合唱コンクール編」です。前編では私のすっとこどっこいエピソードを紹介しましたので、続く後編では何故私はそんなことをしてしまったのか、どう行動すれば(私なりに)被害を少なくできたのかを分析していきたいと思います。
≪分析≫
それでは、過去の自分にいちいち突っ込んでいきましょう。
まずは、バスに乗り損なったことについてです。前日に、乗るバスや起きる時間の確認をし、母親に起こしてもらうという保険をかけたところまでは良かったと思います。
しかし、そこは流石のおっちょこちょいマスター。心配性の割にツメが甘いのです。
私の心配は、「忘れちゃったらどうしよう。起きられなかったらどうしよう。」 ということでした。
忘れることなく時間通りに家を出れば、もう大丈夫だと踏んでいたんですよね。
まぁ、普通の人ならばそれで大丈夫かもしれません。けれど、私です。おっちょこちょいなのに、自分はしっかり者だと勘違いしていた私です。
自分が抜けていることを自覚していれば、「バスに乗り損なわないようにしよう。いや、バスに乗り損なった時のことを考えて、もう一本早いバスはあるだろうか?それだと早く着きすぎるから、やっぱり駅まで歩いて電車で行こうかな?」などなど、心配できることはもっとあったのではないかと思います。
しかし、私にはマヌケである自覚が足りませんでした。なんなら、バスに乗り損なった後も気付いていませんでした。というか、つい最近まで気づいていませんでした。非常におめでたいですね。
以上のように、私がバスに乗り損なった第一の原因は、自分がそこまでおっちょこちょいだと思わなかったということです。
そして第二に、なるべく楽に効率的に行きたいという考えが私にはありました。「歩いて駅→電車→歩いて学校」よりも「バス→歩いて学校」のほうが「楽」なので良い(スマートだ)と判断してしまったんですね。
過去に戻って、自分の耳元で「お前はまだ効率を求めるレベルではないよ」と囁いてやりたいです。「楽さ」ではなく、「確実に時間通りに学校につくこと」を優先すれば良かったです。
それから第三に、遅れたりしたくないなと思いながらも、「自分が遅れたとて誰も気にしないだろう」というような感覚もどこかにあった気がします。
「自分のことなんて別に誰も大切に思っていないよな」という考えが染みついていて、その結果、私を「一人」と数えてくれている人がいるにも関わらず無責任な行動をとってしまうんだなと最近になって気づきました。
ここまでの反省で、私が得た学びは以下の通りです。
・私は自分が思っている以上におっちょこちょいである
・「効率的(スマート)」でありたいという思いが先立ってしまう
・効率を求めるあまり、計画が杜撰になる
・自分がいなくても物事は成り立つという気持ちが強い
・その結果、「参加の義務」に対して無責任になってしまう
どうでしょうか?
私は自分のことなので、「分かる~」と思って書いています。
さて、次の失敗は、遅刻した後の教室での態度です。
私は①こっそり加わり、②大丈夫そうだと判断し、③友達に遅刻のエピソードトーク(言い訳)を始めてしまいました。
まず①のこっそり加わったことについてです。
遅刻をしてしまったことに対して私が緊張していたのは、ドアをそっと開けて、中の様子を確認するまででした。
つまり、申し訳なさそうだったのは、ドアを開けた瞬間だけだったということです。パっと振り向いた人たちくらいには、教室に入る時にちょっと頭を下げた様子が見えていたかもしれませんが、まだ教室がざわついていると見るや否や、「大丈夫っぽいぞ」と判断して足早に荷物を置き、しれっと列に加わってしまいました。
もともとクラスメイト全員と良好な関係を築けていたわけではないので、皆を注目させて(皆のそれぞれの時間を止めて)謝るということには違和感があったのですが、せめて一応全員の顔色を窺って、目が合った人達には頭を下げるくらいはした方が良かったなと思います。もしくは、指揮者と伴奏に謝りに行って、列に加わる前に皆に頭を下げるとか。
いくらでもやり方はあったと思うのですが、状況判断が甘々だった上に、「そもそも遅刻は迷惑を掛けるものだし、たとえ迷惑が掛かっていなかったとしても謝る態度くらいは見せるべき」という発想がなかったのが本当に幼かったなと思います。
それから、朝練が始まるまでの待ち方も非常に問題だったと思います。たぶん走って登校したことによってテンションが上がってしまっていたということもあると思うのですが、なんとか朝練に参加することができたと思った瞬間に、「絶対遅刻しないと思ってたのに、アホすぎるミスで遅刻しちゃった」ということが私の中で「面白いこと」になってしまっていました。
「面白いこと」は共有したいもの。「遅刻したのにこっそり加わって謝っていない」という自分の立場を忘れて、自分の馬鹿話を友達にし始めてしまったのは本当に痛い行動だったなと思います。こんなの誰だってムカつくわ。
恐らく声に出したFちゃんだけでなく、他のクラスメイトで私の行動に気が付いていた人達も、不快に思っていたことでしょう。申し訳ない。
そして、最後に突っ込んでいくのが、Fちゃんの発言への態度です。
無言で振り返って無言で前を向く。当時そんなつもりは全くなかったのですが、こんなのはほとんど威圧ですよね。「言うんなら面と向かって言いな!」という意思表示と思われていたかもしれない。
後になって振り返ってみれば、一度目の違和感で「私のこと?」と申し訳なさそうに聞いてみればよかったかなとか、二度目の違和感でやらかしたっぽいと察した時に、その場ですぐに謝ればよかったなとか思います。
実際の私は、ささいな敵意にもビビリきってしまって、二度と後ろを振り向かなかったのですが、怖いとか傷ついたという感情以前に、通すべき筋というものがこの世にはあるということを分かっていなかったのが駄目でした。
「いいかいスズメちゃん。悪いことをしたら、謝るんだよ」
・・・って幼稚園児かよ!という感じですが、本当にこういうことに関しては未就学児以下だったんだなと思います。
言葉としては分かっていたつもりでしたが、行動として身についていませんでした。何事も体験から学ぶのですね。
以上、つらつらと思うことを描いてきましたが、今回私が分かったことを箇条書きにしてこの記事を終わりにしたいと思います。
途中の箇条書きと重なるところはありますが、全体のまとめとして、ご容赦いただければと思います。
≪過去の失敗を振り返り、今回私が気づいたこと≫
・自分に対する認識と実際の自分とのズレがある
・私は自分で考えているよりもおっちょこちょい
・自尊心が低め(かもしれない)
・集団の中での存在感が薄くても、一人分の果たすべき責任はある
・輪を乱すようなことをしたらちゃんと謝る
・周りがあまり怒っていないように見えても謝る
・謝罪やあいさつくらいはできる人間関係を、所属する集団の皆と築いておく(と、失敗をしたときも謝りやすいのでバックレずに済む)
以上
少しずつ、「フツウ」の人間に近づいて行きたいな。
また次のエピソードでお会いしましょう。
集団行動から何一つ学べなかった女(前編)
こんにちは。生きづらい女こと、スズメです。
本日は私が集団行動からいかに何も学んでこなかったかを、高校時代のケースとともに見ていきましょう!(私は、何を意気揚揚と語っているのでしょうか。)
≪初めに≫
何を隠そう、私は集団行動が苦手でした。しかしながら、居心地悪いなとは思いながらも、苦手なりに周りに馴染んでいるつもりでいました。たまに「これはいったい何の意味があるんだろう?」と思うような集団行動もありましたが、基本的にサボることなく真面目に参加していたので、自分が集団から浮いているとは夢にも思っていませんでした。
まだ始まって数行ですが、「あ~、出た出た」と思われた方もいらっしゃることでしょう。この「何の意味があるんだろう?」というワードの斜に構えた感。
「何のためって、アンタ、社会に出る前に人とうまく付き合う術を学ぶためでしょうが。」と当時の私に言ってやりたい。言ってやったところで、実感が伴わないと何も分からないお馬鹿さん(今もそう)なので、無言で耳を赤くして睨みつけてきたりしそうです。可愛くないなぁ。そういうところだぞ。
本来なら私は、学校での集団生活を通して、引っ込み思案なりに集団の中で生活していく感覚を身に着けなければなりませんでした。
ところが残念なことに、学生時代の私にとって学校は勉強をしに行くところだという認識でした。勉強さえしていれば、他に何が出来なかろうと私は悪くないというスタンスで生活してきたので、悪いという自覚なしに無責任な行動をとってしまったりしていました。
当然、周りからは冷たい反応を貰う訳ですが、そこでやっと自分の失態に気づいても、困惑して傷ついたりする割に、「自分を変えよう」という考えには至りませんでした。
あの当時に、どうして失敗してしまうのか、また今後そうならないようにするにはどうすればいいのか、そして失敗してしまった時のふるまい方などについてよく考えて、試行錯誤してみれば良かったなと思います。(人間関係におけるトライアンドエラーを行う勇気が、私にあるかどうかはまた別の問題ですが・・・。これって机上の空論?)
それなのに当時の私ときたら、「何か間違えたみたい。みんな怒ってる」と気付くや否や、感情のコントロールが出来なくなり、それが表面に出ないようにすることに必死になり、その場から逃げることしか考えていませんでした。
具体的には、加害者の癖にトイレに逃げ込んで泣いたり、髪の毛のカーテンの中で泣いたりして、泣いてることがバレない様にすることに必死でした。
しかもたぶん泣いていたのはバレていたと思います。
我ながら生きづらいですね。
「謝って済むかどうかは別として、一言謝ってから泣きなさいよ。」と心の中の祖母も申しております。
しかし、涙がこみ上げてくるとそれどころではないのです。泣いたら格好悪いし、相手に対しても悪いような気がして、抑えること・バレないことが最優先事項になってしまうのです。
周りが大人だったため、逃げてしまった後は深く追求されることもなく、なんとなく有耶無耶になって終わることが多かったように思います。(行動が宇宙人すぎて、関わりたくなかったのかもしれません。)
有耶無耶になってしまうと、もう自分からはそれについて掘り起こす勇気がなくて、謝り損ねた出来事が山ほどあります。
こうして見ると、「気づかずやらかす」「気づいてショックで泣く・逃げる」「勇気がなくて謝りそこねる」のサイクルが私の孤立の一端を担っていた気がします。
気づかずやらかすことに関しては、「こういう場合にはみんなこうしている」みたいなパターンをインプットして、自分の中で違和感なくアウトプットする練習をしていくしかないような気がしています。
そして、私のすぐ泣く事情・謝らない問題については、書きたいことがたくさんあるので、また改めて記事にしたいと思います。
私はこれまで、適切に処理ができなかった数々の出来事から目を背け、そこから何も学べないまま気まずい思い出として封印してきました。
何年も経った今、あの時するべきだった行動や、それが何故できなかったのかが分かってきました。
今回はその中のひとつ、嫌な思い出のままになっていた合唱コンクールの練習での出来事について書いてみたいと思います。
≪集団行動での失敗・合唱コンクール編≫
あれは高校一年生の秋のことです。私の高校では秋の文化祭の中で一年生が参加する合唱コンクールが行われます。 始めのうちは学活の時間に練習をしていただけでしたが、「何組は放課後に練習している」とか「何組は朝練を始めた」などの情報が入ってくると、私のクラスでも朝練が始まりました。
朝練が始まると分かったときの私の気持ちは、「忘れたり、遅れたりしないようにしなくちゃ。」でした。そう、基本的には素直で真面目な女なんです。絶望的にツメが甘かったり、周りが見えてなかったりするだけで。(だけ?)
当時、私は高校まで直通のバスで通っていました。自宅からすぐ近くのバス停から、毎朝1本だけ朝礼に間に合う時間に学校に着くバスが出ていたんですね。当然このバスでは朝練には間に合いません。
そこで、私は自宅から二番目に近いバス停から学校の最寄駅までバスに乗り、そこから歩いて学校に行くことにしました。
忘れたり起きられなかったら困るので、母に「明日から朝練が始まるから、○○時のバスに乗って駅から歩くことにする。××時に起こして。」と頼んでおくことも忘れません。
そして、運命の朝練初日。寝起きがスーパー悪いながらも、なんとか起きて支度をし、家を出る私。
向かったのは、いつもの自宅から一番近いバス停。って、おいお~い!何で?
前日にバスのルートを確認して、いつもと違うバス停から乗るんだな、と分かっていたはずなのに、癖でいつものバス停に向かってしまったんですよね。
良く考えて行動してよ。頼むから。
ぼんやり待つこと数分。
(ん・・・?あれ?待つバス停を間違えてる!)
慌てて正解のバス停に向かうも、時すでに遅し。次のバスは30分後です。そうなると学校の最寄駅に着くのは45分後。そこから学校まで10分以上歩かなければならず、朝練に大幅に遅刻してしまいます。
こうなったら、自宅の最寄駅まで歩き、そこから電車で高校の最寄駅まで行くのが一番早い。そう判断してからもうダッシュで駅に走る私。
駅まではおそらく10分弱で着いたと記憶していますが、田舎なので電車の本数もまばら。ここでも10分ほどロス。当初の予定だと朝練が始まる時間に余裕をもって着くはずでしたが、バスに乗り損なったことで朝練には5~10分ほど遅刻して教室に入ることとなりました。
教室に入ると、クラスメイトが合唱の体形になんとなく並んでいるものの、ざわざわと雑談をしているような状態でした。
こっそり加わり、(遅れたけどセーフっぽい・・・?)と判断した私。隣の友人に、「バス停を間違えちゃってさー、慌てて駅まで走ったよ…」と(若干テンション高めに)話しながら朝練が始まるのを待っていました。
頼む~~~!黙ってくれ~~~~!過去の私に声が届くなら、大声で叫びたいところです。
後から考えれば、全員揃うのを待っていてくれたのかもしれないし、たまたま休憩中だっただけで、もう練習は始まっていたのかもしれないんですよね。
あの時話しかけた友達も、一応話を聞いてくれましたが、きっと気が気ではなかったでしょう。
当時の私には、想像力やその瞬発力に欠けているところがありました。(たぶん今もそうです。 )
で。しばらくそうして話していたのですが、ふと後ろに並んだクラスメイトFさんの「ムカつく~」という声が聞こえました。
(あれっ?もしかして私のこと?)と振り返る私。
黙って知らんふりのFさん。
(気のせい?)と前に向き直り、「昨日も確認したのにさぁ」などと会話に戻る私。
振り向いたら会話が止まる時点で気づけよと言う感じですが、何故か分かりませんでした。当時の私は、自分は無害な存在だと信じ込んでいたんです。私が人の気分を悪くさせるはずなくない?みたいな。(その自信はいったいどこから・・・?)
で、しばらく話していると再び、Fさんの「私、ほんとにこういうの許せないのっ」という声が聞こえてきました。
(えっ。やっぱり私のこと?)と振り返る私。
それでも黙って知らんふりのFさん。
(あ、もしかして、やっちゃったっぽいな)とそこでやっと察した私は、友達との会話を止め、毎度おなじみ髪の毛のカーテンの中で涙を流しながらその後の朝練の時間を過ごしました。毎度のことながら、パニックになって泣いてしまうとその後のことをはっきり覚えていないのですが、「泣いてませんよ」みたいな顔をして、歌ってみたりと練習には参加していたような気がします。
頑張るところそこじゃないんだよな~。
自分のことなので、ただいっぱいいっぱいで悪気はなかったのは分かるのですが、とっても感じ悪いよ・・・。
Fさんからしてみたら、ほんの少しチクリと刺して、面の皮の厚そうなクラスメイトに気づかせてあげようくらいの気持ちだったと思うのに、気づいたらなんか泣いてるわけですものね。
触ったらだめなヤバい物件だったんだなと察した瞬間だったことでしょう。
しみじみと私のヤバさが読者のみなさんの心に沁み渡ったところで、集団行動から何一つ学べなかった女(前編)はこの辺までにしたいと思います。
後半にて、またお会いしましょう。
≪後編の予告≫
ありえないミスでバスを乗り過ごして遅刻、その後空気を読み切れず傲慢な態度をとってしまったスズメ。
過去に戻ってやりなおしたい!
あの時どうしていれば、ミスを防げたのか?
相変わらずのKYっぷりをカバーする方法とは?
次回、分析編です。
泣いて何とかなってしまった経験
こんにちは。スズメです。
今回は小学2年生の時のやってしまった話をしたいと思います。
これは本当に後悔が大きい経験のひとつです。
というのも、クラスメイトを陥れるような結果になってしまったからです。それも、(その時はあまり気づいていなかったけれど、今思い返せばたぶん)少し私と似た不自由さを持つ男の子に濡れ衣を着せて我慢を強いてしまったということが、ずっと心に引っかかっています。
きっかけは些細な事でした。
自習中の教室、私は椅子に座って足をブラブラさせていました。
その際に、気づいていなかった(自分の机の脚を軽く蹴っているつもりだった)のですが、前に座る男の子の椅子を蹴っていたようです。
(もしくは、私の机が前の男の子の椅子に接触していて、震動が伝わっていたのかもしれません。)
どちらにせよ、ブラブラさせてるときに自分で気付きそうなもんですが、全くうっかりさんですね。
それで済まされると思うなよという声が聞こえます。
書きながら思い出してきたのですが、小学生時代の教室の机(とくに低学年)って、綺麗に並んでなかったように思います。教室を掃除する時に自分達で動かして除けて、また並べなおすから。
一応前から見ると真っ直ぐ並んでいるけど、座席の幅はあまり揃っていなくて、「座るスペース狭くない?」みたいなしわ寄せをこうむる席が出来ていました。
このような環境要因と、周りが見えてない私の性質とが合わさって、事件の引き金を引いたのでした。
さて、話を戻します。
我慢の限界がきた男の子(以下E君とします)が振り返り、やめろよという風に私の机を蹴ってきました。
カッとなった私は今度は意図的にやりかえし、彼もまた蹴ってきて、事態の収拾がつかなくなる恐怖に、私は「やめてよ!!!」と絶叫しました。なぜか口元を手で押さえ、涙を流しながら。
いや、なんで?
やり返す前に自分のしていた行為に気付いて謝ったら丸く収まったのでは?
そして、なにその口元を 押さえるジェスチャー。しかも泣いてるし。
自分の行動なのにすっとんきょう過ぎて、ツッコミが止まりません。
一応本人なので覚えている範囲で理由を説明すると、
①やり返したのは、E君の行動が私にとっては思いがけないもので、反射的に我の強い部分が出てしまった(我慢しろ)
②口元を手で押さえたのは、大きな声を出して口の中が丸見えになるのが恥ずかしいという自意識から出た行動
③涙を流していたのは、感情が高ぶると泣いてしまうという私の性質
です。
で、私のこの不可解な行為が、とんでもない誤解を呼びました。
泣いてうまく話せない私、悔し涙を流して同じくうまく喋れないE君、駆けつける先生。
そして、代わりに説明してくれる事態を理解していないクラスメイト。
「スズメさんとE君が喧嘩をして、E君が蹴った机がスズメさんの口に当たったみたい」
(いや、違う~~~!)と思ったものの、泣きじゃくる私は震える口で言えたのは次のような言葉でした。
「私がE君の椅子を蹴っちゃってて・・・ウゥゥ(嗚咽)・・・そしたらやり合いになって・・・」
本当は、その後に「蹴り合いが終わらなくなって怖かったから叫んだだけ」と続けて言わなくてはいけませんでした。でも言えませんでした。
泣きながら話すのに困難を極めたというのもあるし、パニック状態の中「蹴り合いが終わらなくなって怖かったから叫んだ」という的確な表現をすぐに思いつくほど言語表現が豊かではありませんでした。
せめて口に当たっていないということだけでも伝えなければならなかったのですが、口を手で覆ってしまった理由を話すのが少し恥ずかしく、それも言葉になりませんでした。自意識過剰です。
そしてなにより、教室で泣いてしまっているということへのパニックが大きかったです。泣き止もうと思えば思うほど、涙が出るという悪循環。
結果、自分の感情を優先し、事実を伝えることを諦めてしまいました。
私の中途半端な言葉が決定打となり、先生(とクラスメイト)は事態を次のように理解しました。
「スズメがE君の椅子を蹴り、怒ったE君とやりあううちに、E君が力任せに蹴り上げた机がスズメの口に当たったらしい。(誤解を含む理解)」
本当は、E君は机を蹴りあげていません。実際にあったやり取りは、E君が足で私の机を遠ざけるように押してきたり、私が意地になって机を手で押し返したりする程度のやりとりでした。
(そしてやり返し合ううちに互いにムキになり、突如私がヒステリーを起こした。ストレス耐性なさすぎん?)
違う、違うと必死で泣き止もうとしている間に、先生はE君への説教モードに突入です。
なにぶん昔のことで正直あまり覚えていないところも多いのですが、一つだけ克明に覚えている光景があります。
それは、顔を真っ赤にして目に涙を湛えながら「やってない・・・」と一言訴えるE君の表情です。
そしてそれに対する先生の、「何もしてなくて机が顔に当たるわけないでしょ!!!!こんな距離だよ!当たるか!?!?ねぇ!」という容赦ない切り捨てです。
(ごめんなさい!本当は当たってないんです!)
ちゃんと事実を伝えなかったばかりに、理不尽にE君が起こられていることを申し訳なく思う気持ちと、思った以上に怒っている先生を見て、今更怖くて本当のこと言えないよ・・・という卑怯な感情がないまぜになったというところまでで記憶は途切れています。
どのように事態が収束したのか覚えていません。
私の口にぶつけた跡がないことに気付いた先生が、なんとなく事態を察して怒るのをやめたのかもしれないし、
案外と泣き止んだ後か、数日後に、先生に本当のことを言って自分だけスッキリしてしまったから覚えていないのかもしれません。
けれど多分、E君は やってないことをやったと決めつけられて、弁解できるほど口達者でもなく、泣き寝入りさせられてしまったのだと思います。
今謝っても届かないし、E君の名誉は傷つけられたままで、なにもかも遅すぎるのだけど、私が至らないために本当に申し訳ないことをしました。
E君や、実は事情を知っているけれど言いださなかったクラスメイトから見れば、私は「意図的に仮病を使って怒られずに済んだクズ」だと思います。
スズメ 本人的には、「図らずも仮病を使うことになり、成り行きに身を任せて自己保身したクズ」です。
ほんの初めのところは、悪気のないうっかりミスみたいなもので、自分が他人に害を与えるわけがないと思っているから、他人から向けられる厳しい反応に敵意をむき出しにしてしまう。
事態がエスカレートするうちに、根が小心者かつ自意識過剰なので、外からみると一見トリッキーな行動を急にとってしまうことがある。
そのため、事実や本心がうまく伝わらず、事態を混乱させてしまう。
あの出来事は、このような私の性質が招いた悲劇だったと思います。
今の私にも上記のような性質はあると思うので、何かおかしなことをしてしまいそうなときは、自分ってこういうことしがちだよな・・・と一瞬でも自分を客観視し、落ち着いて行動できるようになりたいです。
最後に、冒頭で私はE君のことを「私と似た不自由さを持つ男の子」と表現しました。
決してE君に責任転嫁をするわけではありませんが、E君がこの悲劇を回避する方法も、実はあったと思うんです。
全体的に、私に関わったが最後、絶対にトラブルに巻き込まれる無理ゲー的要素はありつつも、ちょっとしたことで結果は変わったのではないかという気もしています。
例えば、いきなり蹴って知らせるのではなく「さっきから椅子蹴ってない?止めろよ」と言ってくれれば、私もハッとしてしおらしくなったかもしれません。生意気なので、しらばっくれてやはり喧嘩になる可能性もあったようには思いますが、この場合なら周りに会話を聞かせることができるので、悪いのは完全に私だとはっきりします。
濡れ衣を着せられたときも、「やってない」だけでなく、「スズメが嘘をついている」とはっきり言ってもよかったと思います。
もちろん激昂している大人に立ち向かうことは容易ではないし、目の前のクラスメイトが急にヒステリーを起こすという恐怖体験のさなか、8歳の男児が冷静に対処できるのか分からないけれど。
勝手に人の性質を独りよがりに分析するものではないと思いますが、失礼を承知で言わせてもらうと、E君にも私と同じような不器用さがあったのではないかな・・・と感じる部分があります。
それは、自分の考えや思っていることを口に出して伝えることが得意ではないところ。
その結果、我慢が重なり、意思表示の際に言葉が追い付かず先に行動がでたりするところ。
外から見ているからそう思うだけで、彼に聞いてみたことがあるわけではないので全くの見当違いかもしれません。
少なくとも、私にはこういうところがありました。
後から思えばなんとなくシンパシーを感じる(と思い込んでいる)相手を傷つけてしまったことで、より気にかかっています。
あんな立場に追い込まれた彼の悔しい気持ちが、他の人のそれよりも理解できるような気がして。なんて、自分語りに酔っているだけでしょうか。
万が一E君が読んでいたら、「全然違う。欠片も合ってない。」と全否定されるかもしれません。迷惑かけっぱなしでごめんね。
その後もE君とは何度か同じクラスになり、性懲りもなくまた泣かせてしまったりもするのですが、それはまた機会があれば書きたいと思います。
あんなことがあったにも関わらず、その後もただのクラスメートとして放っておいてくれたE君の器の大きさにはとても感謝しています。
了
はじまり
・はじめまして
はじめまして。スズメです。ふと思い立って、ブログをはじめました。自分のことを一言で表すと、「生きづらい女」だと思います。
「生きづらい」と文字にしてしまうと、切実で、なんとなくこわい感じになってしまうのが嫌なのですが、言葉をあまり知らないのでひとまずこう表現します。
私が本当に切実でこわい感じの人なのかどうかは、これから書く記事を読みながら判断してもらえればうれしいです。
・もしかして私、生きづらいかもしれない・・・?
私が、自分のことを「生きづらい」かもしれないと思い始めたのは、高校を卒業し、大学生活を始めた頃です。生まれて初めてバイトをしたり、生まれて初めての恋人もどきができたり、そういった「普通」の人が経験するいろんな初めてのことを経験するうち、「凄く困っているわけではないのだけれど、なんとなくしんどいかもしれない?」ということが増えてきて、それまでは見えていなかった自分の正体が分かり始めたのです。
・生きづらいと気づくまで、自分のことが見えていなかった
大学に入るまで、私は自分のことを「なんでもある程度はできる器用な人」だと思っていました。小さいころからいろいろな習い事をさせてもらっていたおかげで、身体を動かすことも音楽も美術も苦手ではなかったし、勉強の方もテストの点数だけは良かったからです。
今振り返ってみて思うのは、「学生時代の私にとって、私をうまく説明してくれるものは、テストの点数と通知簿だった」ということです。こうして言葉にしてみると、しみじみとヤバさが感じられますね。ヤバ~。
テストの点数が良ければとりあえず親や塾の先生なんかは褒めてくれますし、学生時代の私は「勉強ができることが私の強さなんだ」と思い込んでいました。
・一方で、自分の「弱さ」を恥じていた
自分の成績のよさを「強さ」だと思っていた反面、人間関係には不器用で、私は自分の性格を「弱さ」だと思っていました。しかし、強みを磨けば、弱い部分はカバーできるのだと思い込んでいたので、学生時代は弱い部分の掘り下げはあまりしていませんでした。
今現在も自分の性格には多少の難があると思っているのですが、今の認識と当時の認識は似ているようで、違います。
以前の私は、自分のことを地味なグループの子だと思っていました。スクールカーストの下の方の人間で、派手なグループの子とは仲良くなれるはずがないと思い込んでいました。男女分け隔てなく遊んだり、先生と仲良くなったり、大きな声を出したりできる派手なグループの子たちに憧れながらも、自分はその一員には絶対になれないのだと頑なに壁をつくって過ごしていました。
当時の私が恥じていたのは、おとなしい・人見知りをする・声が小さい・面白くない・自己主張ができないなどの自分の性格です。そして、自分とかけはなれた明るい性格の人は、自分みたいな人と仲良くなりたがるはずがないんだから、そもそも近づかないでおこうと思っていました。卑屈。
そんな謎理論に基づいて行動していたので、当然友達も少なく、小・中・高と幼稚園時代の友達づてに申し訳程度に交友関係を広げつつ(当時仲良くしてくれたみなさん、あの頃は分からなかったけれど、今は本当に感謝しています)、なんとかしてこの「弱い」性格を直そうと、安易に理想の自分を演じては、うまくいかず苦しむ・・・ということを物心がついてから十数年間繰り返していた気がします。
・直すべきは「大人しい性格」ではなかった?
そして、今の私がどうなのかというと、相変わらず他人からみた印象は「大人しい」のままだと思います。 特に面白いことが言えるわけでもないので、私と是非とも仲良くなりたいという人は多くないでしょう。
しかし、私に友達が少なかったのは、単に私が大人しかったからという理由だけではありません。当時は気が付きもしませんでしたが、私は自覚のない嫌な奴でした。
自分は大人しいグループの人だから、出しゃばらずひっそりと過ごそうという気持ちと、私には勉強があるというおかしな自信のせいで、今思えばちぐはぐな行動をとっていたように思います。一人になるべくして、一人になっていたのです。
派手なグループの子が近くで話していて、私に話題を振ってくれた時も、「地味な私が派手な子たちの話に聞き耳を立ててるなんて申し訳ない」という自意識から、聞こえていたのに聞いていなかったフリをしてみたり、そのくせ勉強に関しては、内心「自分に分からないことがあるはずがない」くらいの過剰な自信を持っていたりしました。
自分の弱々しい性格に自信がもてないあまり、何か別の「強み」を持っていなければいけないと思い込んで、勉強にアイデンティティを求めていたのかもしれません。
しかし、私が本当に直すべきは、大人しい性格ではありませんでした。私がうまく付き合っていかなくてはならないのは、様々な場面での「プライドが傷つくことへの恐怖」でした。
振り返れば、素っ頓狂なことを数多くやらかしてきた私ですが、それらの行動の根っこには「傷つきたくない」という気持ちがあったように思います。その思いは暴走して、時に「もともと仲良くなりたくない」という強がりや、「私は知らない」という責任転嫁、「悪気はなかった」という逃げの態度として表れ、無自覚のうちに狡い人になっていました。
・嫌いな自分との付き合い方
自分が嫌な奴だったと初めて気づいたとき、自己嫌悪で気が狂いそうになりました。「なんとなくうまくいかなかったな…」というもやもやした思い出が、「もしかして、こうすればよかったのでは…?私の対応が下手だったんだ!」という気付きによってあれもこれも苦い思い出に変わってゆき、「過去の自分が恥ずかしい!消えたい!」ともだえる日々…。
過ぎてしまったことは仕方がないと無理やりにでも気持ちを切り替えるようになったのは、つい最近のことです。これからの私にできるのは、同じような過ちを繰り返さないようにすること。
自分がどんな奴なのか、どういう行動をとってしまいがちなのかわかりつつある今、ベースは「弱い自分」のままでも「生きづらい」行動をとらないように工夫していくことは可能だと考えています。
・このブログの目的
過去の「なんであんなことをしてしまったのだろう?」という事柄から、その時の自分の気持ちや考え方を読み解くことで、自分自身への理解を深める。
また、どんなことで自分が元気になれるのかなど、自分の機嫌の取り方の備忘録。
そして、烏滸がましいですが、どこかにいるかもしれない同じような悩みをお持ちの方の生きづらさが少しでも軽くなる糸口にこのブログがなればいいなとも思っています。